あるきデス

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アラン パーソンズ プロジェクト Alan Parsons Project を歩く ~中級・上級者向けAPP論 リードボーカル考~

どうせ誰もこんな最果ての地まで訪ねて来ないことをいいことに好き放題書いているアラン・パーソンズ・プロジェクト(読みやすいかと思いここから「・」を使用)論。さて第2回目は「リードボーカル考」です。

 

アルバムの楽曲群ごとにリードボーカルが変わるという方法論には色々な事情があるかとは思います。ここでいうリードボーカルが変わるというのは「この曲はジョンで次の曲はポールでそれからこの曲はジョージで、で次の曲はリンゴでね」というようなバンドメンバー内での持ち回りという意味ではなく、平たくいうとゲストボーカルを招へいするということですね。

 

この場合知名度の高いゲスト、人気のあるゲスト、旬なゲストをリードボーカルに加えるとアルバムの売り上げにも貢献大ということになるでしょう。

 

ただ楽曲に合っていないゲストに歌わせるとただのお祭り。まあ、あえてお祭りを狙った企画もあってロジャー・ウォーターズ Roger Waters のもと集結したスター達によってピンク・フロイドの傑作を再現したのが1990年作の「ザ・ウォール〜ライブ・イン・ベルリン The Wall Live in Berlin 」。シネイド・オコナー Sinéad Marie Bernadette O'Connor、シンディ・ローパー Cyndi Lauper、ジョニ・ミッチェル Joni Mitchell、ブライアン・アダムス Bryan Guy Adamsヴァン・モリソン Van Morrison。超豪華です。でも各楽曲に「あった」ボーカルかと言われると・・・。で最大の難点はザ・ウォールという世界観にあっているのかどうかです。ライブで体験する(1回限り。だからお祭り)と素晴らしいのでしょうけど、CDは何回か聴いて封印(買った当時の上司だったイギリス人からも「そんなもの繰り返し聞き続けられるのか?」と言われたけど・・・仰る通り)。

 

そういえば曲別ではなく1曲の中でリードボーカルを超ビッグネームが取り合う1985年作「ウィ・アー・ザ・ワールド We Are The World」も完全なお祭り。当時何度もMTVの映像としてテレビで流れたスタジオセッションにおいてブルース・スプリングスティーン Bruce Frederick Joseph Springsteenが登場すると洋楽好きの仲間と笑いながら真似したもんです。これはこれでいい。

 

こういうお祭りものでなくとも自身のアルバムにゲストボーカルを招いて成果をあげている(つまり楽曲との相性や世界観が合っている)ものは多くはないけど数々の例があるでしょう。例えば坂本龍一の「ハート・ビートHeartbeat」。本人が音痴、表現しきれないということもあるかもしれないですけど(でもしっかり2曲のリードボーカルを担当)まさに教授ならではの鋭い選球眼でリードボーカルをクリーンヒット。まあこのアルバムでの選び方には偶然もあったかもですけど、その中でも9曲目の「Borom Gal」でのユッスー・ンドゥール Youssou N'Dour のボーカルは絶品。教授の曲とのコンビネーションで唯一無二のサウンドとなってます(このアルバムで多用されているハウス的な手法だけではこの曲は生まれない)。

 

近年の作品で私が聴いたものでビッグネームをゲストボーカルに選びながら曲調や世界観とピタッと合って成功しているのはダフト・パンク Daft Punk の2013年作「ランダム・アクセス・メモリーズ Random Access Memories 」。ジュリアン・カサブランカス Julian Fernando Casablancas が歌う「インスタント・クラッシュ Instant Crush 」が「アイ・イン・ザ・スカイ Eye In The Sky 」に似ているとの声を聞くと(常に確信犯のダフト・パンクには偶然似ている曲を作るということはない。ネタへの愛があるのでただのパクリとはならずオマージュとなる)、ザ・ポリス The Police 1983年作「 見つめていたい Every Breath You Take 」に1982年作の「アイ・イン・ザ・スカイ」からの同時代的な影響を感じたことを思い出します(ただしアンディ・サマーズ Andy Summers はバルトークからの影響を口にしている。たしかに若き日のゾルタン・コチシュが弾くこのハンガリーの偉大で気難しい作曲家が東欧の民族音楽を「サンプリング」して再構成、創造した傑作曲群を聴く限りブルースを源泉としないロックの誕生を感じる。ここからパクれば(もといインスピレーションを得れば)テクノアルバムなら数百は作れる気がしてくる。なのでロバート・フリップ Robert Fripp 尊師に導かれたアンディの言い分にこれ以上ツッコミはいれないこととしましょ)。

 

もう、いいかげんにしろ!の声が聞こえてくるか、読むのやめてしまう人が続出でしょう(仮にこの記事まで辿り着けたとしたらですけど)。

 

さて2000文字を越えた前置きのあと、アラン・パーソンズ・プロジェクトです。アランもエリックもボーカリストとして十分な表現力を持っています。特にエリックは人間国宝。あの歌声はアラン・パーソンズ・プロジェクトのアイコン。天使の歌声はアート・ガーファンクル Arthur Ira Garfunkelの代名詞かもしれませんけど、専売特許ではない!と主張したくなるエリックの歌声の透明感。それは摩周湖バイカル湖も凌ぐ透明度です(なんのこっちゃ)。

 

ただエリックのリードボーカルは5作目の「運命の切り札 THE TURN OF A FRIENDLY CARD」まで待たねばなりません。タァ~~~イム。そうするとエリックというアイコンを持ちつつアラン・パーソンズ・プロジェクトの全アルバムを貫く表現フォーマットの最大の特徴の一つとなっているものはやはり曲ごとにリードボーカルが変わるマルチリードボーカル制。

 

さて今回この記事を書くのにあたり、1作目の「怪奇と幻想の物語~エドガー・アラン・ポーの世界TALES OF MYSTERY AND IMAGINATION」から最終作の「ガウディGAUDI」までの全曲のすべてのリードボーカルを担当したアーティストをデータベース化し各アルバムの売り上げと各ボーカリストの登場回数との相関係数を得るために重回帰分析を行ってみました(大ウソです)。

 

さてさて実際は全曲を担当した各リードボーカルを一表にしただけです。で以下の発見(大袈裟)がありました。

 

〇 10枚の全アルバムに登場したリードボーカルは26人。(注1)

〇 のべリードボーカルは73人。

〇 輝かしい最初のリードボーカルは1作目の「怪奇と幻想の物語~エドガー・アラン・ポーの世界」の2曲目「The Raven」でのアラン・パーソンズで最後のリードボーカルは10作目で最終作の「ガウディ」の6曲目「 INSIDE LOOKING OUT」でのエリック・ウルフソン!(注2)

〇 リードボーカルを担当した回数が一番多いのはエリック・ウルフソンで13回。

〇 以下レニー・ザカテク Lenny Zakatek 12回、ジョン・マイルズ John Miles と同数3位のクリス・レインボー Chris Rainbow が8回。これまた同数4位のデヴィッド・ペイトン David Paton とコリン・ブランストーンColin Blunstoneの4回と続きます。(注3)

〇 全アルバムでリードボーカルをとっている皆勤賞アーティストはゼロ。最多はレニー・ザカテク で1作目の「怪奇と~」と9作目の「ステレオトミー STEREOTOMY」を除く8枚のアルバムでリードボーカルを担当。(注4)

〇 曲ごとにリードボーカルを変える形式を遵守するアラン・パーソンズ・プロジェクトでは連続した曲で同じアーティストがリードボーカルをとることはないのが普通。この名誉ある例外がジョン・マイルズとクリス・レインボーの二人。ジョンは「怪奇と~」の4曲目「 THE CASK OF AMONTILLADO」と5曲目「(The System Of) DOCTOR TARR AND PROFESSOR FETHER 」と連続して歌う。そしてクリスは「運命の切り札」の6曲目「THE TURN OF A FRIENDLY CARD (I) THE TURN OF A FRIENDLY CARD (PART ONE)」と7曲目「THE TURN OF A FRIENDLY CARD (II) SNAKE EYES」と連続して担当。(注5)

 

(注1)リードボーカルの定義はアラン・パーソンズ・プロジェクトの公式サイトのクレジットに基づいています。なのでEMIボコーダーも「ひとり」としてカウント。

(注2)「The Raven」でのリードボーカルアラン・パーソンズひとりではなくロミオを演じたレナード・ホワイティング Leonard Whiting との共同クレジット。ボコーダーもクレジットしているところにアランの照れを感じます。

(注3)ここでは公式サイトのクレジットに基づいて集計したためクリス・レインボーのリードボーカル担当は8回となっているものの「イブ」の8曲目の「SECRET GARDEN」での”One-Man Beach Boys"をリードボーカルとしてカウントすると単独3位に躍り出ます(実際公式クレジットではこの曲にはInstrumentalという表示がない。「アイロボット」の1曲目「 I ROBOT 」にはSoprano Vocal としてヒラリー・ウエスタン Hilary WesternがクレジットされているもののInstrumentalとなっている。まあクリスが人間楽器化して全編ですんばらしいメロディ&ハーモニーを奏でてますから)。

(注4)ステレオトミーの5曲目IN THE REAL WORLD 」のリードボーカルはジョン・マイルズではなくザカテクにすべきだった。この数少ないアラン・パーソンズ・プロジェクトらしからぬアルバムの穴埋めのような曲も今少し魅力的になったかもである。次に続くインストのWHERE’S THE WALRUS?」がこれぞアラン・パーソンズ・プロジェクトといった素晴らしい出来栄えなので余計にそう思えてしまう。

(注5)「THE TURN OF A FRIENDLY CARD 」という組曲の内かもしれませんけど明らかに別の曲。アラン・パーソンズ・プロジェクトの「特注楽器」と私が命名するクリスが曲調が全く異なる連続する2曲を素晴らしい歌唱で表現しています!最高っす。

 

さてさて、以上のような曲ごとにリードボーカルを変えるというアイディアはどこからきたのでしょう?これはやはり「アラン・パーソンズ・プロジェクトアラン・パーソンズとエリック・ウルフソンの二人」であり、誰も割って入ることのできない二人のパートナーシップからきているのだと思います。

 

仕事でもプライベートでもパートナーシップが長続きする秘訣はお互いの役割が重ならないで補完しあいながら、同じ目標を目指す関係を維持できるかどうかに掛かっています。「俺がやりたいこと」「私がやりたいこと」が同じだと喧嘩が絶えません。また「やりたい」ことが「得意なこと」とズレているといずれプロジェクトは破綻します。

 

アランは若いころからすでに技術的にもアイディア的にも素晴らしいエンジニアでありプロデューサーでした。そして彼の素晴らしさはいろいろなオプション(選択肢)を前に「決める」ということ、つまりある意味モノを作る(創造する)すべてのリーダーに求められるこの「決定する=他の案を捨てるリスクを引き受ける」役割を見事に果たせることにあると思います。

 

一方エリックはコンセプトを閃き、歌詞を書き作曲し鍵盤を奏で自身の声で歌を表現できるクリエーターとしての役割を担える天賦の才がありました。

 

同じ目標を目指すためのいい意味での「衝突」はあっても二人はお互いの領分を侵さず尊重し合える関係性(たんなる関係とは違う意味であることに注意!)を創作という戦場で最初から最後まで維持できた理想的なクリエイティブパートナーだったのですね。最高のクリエイティブディレクターとデザイナーの理想的な関係性とでも言えましょうか(ちょっと例えとしてスケールが小さくなったような)。

 

平たく言えばエリックには自分の蒔く種(アイディア)を枯らさずに開花(実現)してくれる人が必要でアランには人々を魅了する花(作品)を咲かせる種をまき続けられる人(アーティスト)が必要だったわけです(もうちょっといい表現があったはず・・・)。

 

なのでエリックはより魅力的な花になるなら自分で歌うより他のアーティストに歌わせることに(そもそも彼は優秀なソングライターとして他のアーティストに曲を提供していたし、ミュージカルやオペラとの接点もあったので)に抵抗はなかった。抵抗はないどころか、自分が作り出す曲すべてに自分の歌唱が最善だとは思ってなかったはずだし、他のアーティストに歌わせることにコンセプトから創造する表現者としての醍醐味も感じていたと思う。まあアラン自身が当初はエリックの声や歌唱にリードボーカルとしての魅力を感じていなかったことも影響してるかとは思いますけど。

 

ある意味ではアラン・パーソンズ・プロジェクトのアルバムはミュージカルやオペラのようなものと考えればマルチリードボーカル制をとったこともすんなり腑に落ちる。ってそんなに難しく考えなくても一粒で2度美味しい以上のお得感がありますよマルチリードボーカル制には・・・とは言いたいところですけど各作品を聴き始めた当初からほとんどのリードボーカルを担当しているアーティストのことは知らないんですね私(今もほぼ同様)。

 

それなのにアラン・パーソンズ・プロジェクトのマルチリードボーカル制は私の心を捉えました。実にキャスティングが上手いんですわ。曲の表情に合わせて絶妙に配役を変える巧みさに脱帽。各演者も個性派ぞろい。つまり過去や当時どんなバンドに属していたかとかソロとしての活動実績などのネームバリューとは関係なく演者の魅力をバイアスなしに感じることができたわけで、これは私にとっては幸せだったように思います。

 

では当のアラン・パーソンズはどのようにしてリードボーカルを決めていたんでしょうか?これについては彼への貴重なインタビューがあります。

 

「僕たちのやり方は最後まで一貫していた。基本的に作詞はエリックの仕事で、作曲も大半は彼が手がけた。そして曲がかたちになったところでミュージシャンを集めるのは僕の仕事だった。ミュージシャン選びの基準は、楽曲に相応しいかということ。あとは - これが大切なんだけれども - 引き受けてもらえそうな相手かどうかだった」レコード・コレクターズ2008年12月号

 

上記のインタビューではミュージシャンとなってますけどこれは、ほぼほぼリードボーカルとイーコールと考えて差し支えないと思います(なぜならこのインタービューの前後に出てくるのも「誰に曲を歌ってもらいたかった」って話なので)。

 

後々アラン・パーソンズがビックネームになっても作品への「出演交渉」は彼自らやっていたし、必ずしも希望通りにはいかない場合もあったようです。そもそも依頼したのに断られる理由には色々あると思います。

 

1)本人が(APPでは)歌いたくない。

2)本人がOKでも回り(マネジメント)が歌わせたくない。

3)単にスケジュールが合わない。

4)APPで歌うことはOKだけど依頼された曲は歌いたくない。

5)APPのことを知らない。

 

1)には色々なパターンがあるでしょうね。「アイロボット」を論じるときにまた書きますけど、リードボーカルではないけどナレーションを依頼したら「またね、今度ね」とはぐらかされた(断られた)ポール・マッカートニーのような例とか。

 

2)はあったんでしょうねと想像。

3)は本人も言っているコリン・ブランストーンにアルバム「アイロボット」で歌って欲しかったんだけどスケジュールが合わず実現しなかった例。もし実現していたらコリンがリードボーカルを担当すべきはどの曲だったのか・・・「絶対はずせないAPPのアルバム=アイロボット論」で詳しく触れます(いつやるんだ?そんな特集)。

4)は前述の坂本龍一のアルバム「ハートビート」1曲目表題曲でネナ・チェリーNeneh Cherry にボーカルを依頼したら「あなたの映画音楽は好きだけどこの曲は歌いたくない」ってやつですね。APPではあったのか?こんな例は。

5)そんなアーティストはいない!

 

とまあ、当たり前のようで奥深いのがこの「引き受けてもらえそうな相手かどうか」っていう選考基準です。ラップトップで曲を作るのとはわけが違う。生身の人間同士の駆け引きと交渉と想い。プロデューサーとしてのアラン・パーソンズの凄さがここにあるんですねぇ。

 

このようにして選ばれし総勢26人のべ73人(ボコーダーも入っている!)の歌声の魅力や楽曲との相性評価を今後、じっくりとやっていきます。もちろんリードボーカルはアランパーソンズプロジェクトの魅力の一つに過ぎませんので他の部分も延々(連載100回以上の予定か?)とやりますよ。

 

では、次回もYou'll never walk alone!