あるきデス

50代からの毎日の歩き方from鎌倉。Rock your life! ジタバタしたっていいじゃないか!

アラン パーソンズ プロジェクト Alan Parsons Project を歩く ~中級・上級者向けAPP論 「君のようにはなりたくない」という世界観~

アラン・パーソンズ・プロジェクトとの出会いを時系列に語っても誰もそんなことには興味ないと思います。あまりはっきりした記憶もないし。

 

というか気づけばどっぷりとアラン・パーソンズ・プロジェクトの世界にハマってしまっていたんですね。

 

でもそのきっかになったアルバムは間違いなく「アイロボット」です。このアルバムに私を引きずり込んだのは - いや、というよりアラン・パーソンズ・プロジェクトの世界に私を引きずり込んだ - のは以下の曲です。

 

I WOULDN’T WANT TO BE LIKE YOU

If I had a mind to
I wouldn’t want to think like you
And if I had time to
I wouldn’t want to talk to you

I don’t care
What you do
I wouldn’t want to be like you

If I was high class
I wouldn’t need a buck to pass
And if I was a fall guy
I wouldn’t need no alibi

I don’t care
What you do
I wouldn’t want to be like you

Back on the bottom line
Diggin’ for a lousy dime
If I hit a mother lode
I’d cover anything that showed

I don’t care
What you do
I wouldn’t want to be like you

I don’t care
What you do
I wouldn’t wanna

I wouldn’t want to be like you
I wouldn’t want to be like you

 

それにしても「君のようにはなりたくない」(いや英語のニュアンスからしたら「絶対に君のような人間にはなりたくない」って感じでしょうか。)っていうのが曲のタイトルとはまさに衝撃そのものでした。

 

最初にこの曲を聴いたとき、私は大学生で「英語研究会」なるサークルで「はやく英語が喋れるようになりた~ぃ」と毎日毎日妖怪人間ベムのように叫んでいたのを思い出します(多少脚色あり)。で同じサークル仲間で洋楽好きの友人と一緒にこのレコードを聴いたとき(当時はレコードプレーヤーが私の下宿にはなくこの友人に自分が買った「アイロボット」のアルバムを持ち込みカセットテープにダビングしてもらっていた。← この意味わかります?)二人してウケにウケまくったのを覚えています。「なんか俺たちの気持ちをこんなにも代弁している曲があるなんて!」と言った(か言わないか)・・・とにかくこの強烈な「世界観」に一瞬に取り込まれてしまったのです。

 

それはエリック・ウルフソンの書いた究極のネクラ&ネガティブ思考の歌詞が、ものすごくファンキーで攻撃的なリズムとメロディにのってグイグイ迫って来る、しかもそれがレニー・ザカティク(ザカテク)のこれまた「アイロボット」というアルバムタイトルとは対照的な肉体的かつ煽情的なボーカルによってロック以上に魂を揺さぶるように歌われるのです。ヘンだよ、これ!すごいヘンな世界だよ、これ~!でも凄ーく、いいぜこれ!・・・という衝撃でした。

 

さて、今回のキーワードの「世界観」とはなにでしょうか?まあ、人それぞれの定義があると思いますけど、ここでは「世界観=誰の立場からどのように事象や他人を観ているのか」となります(とします)。

 

音楽の世界観は必ずしも歌詞だけで作られるわけではないと思います。それはリズム、メロディ、テンポ、音色という作曲の面も大きく影響します。そしてアーティスの表現技術や技量も大きく影響するのです。

 

例えば今や誰も知らないと思われる(?)カーターUSM Carter the Unstoppable Sex Machineというバンドがありました(おいおい今もあるぞ)。彼らのアルバムに1992年作「1992愛のアルバム 1992 The Love Album」というアルバムがあります。最近このアルバムを久しぶり(20年ぶり?)に聴いていて思ったのは、彼らは実はピンク・フロイドの(というかほとんどロジャー・ウォーターズのソロプロジェクトと化した)1983年作の「ファイナル・カット The Final Cut 」あたりの世界を作りたかったのではと思いました。まあ、両者は立ち位置が異なるのでまんまその世界とはいかない。それよりも一見、演奏も歌もヘタクソなロジャー・ウォーターズはそれを補って余りあるプロデューサーとしてアーティストとしての表現技術と世界のトップバンドとして君臨し続けた経験に裏打ちされた聴衆の心をつかむ奥義を身に着けているのですね。対してカーターUSMは「やりたいこと」に「出来ること」が追い付いていないという印象が、今回の久しぶりの視聴でも強くなりました。まあ、しょうがない。

 

それに対してアラン・パーソンズ・プロジェクトは盤石です。立川直樹氏が名付けた「ポップのデザイナー」のアラン・パーソンズと稀有のコンポーザーでありシンガーであるエリック・ウルフソンの組み合わせなのですから。「表現できること」が「表現したいこと」に追いつかないなんてことは絶対にありません。

 

ではアラン・パーソンズ・プロジェクトの世界観って何かと言うと、独断と偏見で言い切るならそれは「中産階級の資本主義社会に対する違和感と疎外感」なんですね。もはや死語だと思われる中産階級とは、「当面のお金には困っていないある程度の職業地位にいるホワイトカラーワーカー(これも死語か)」を意味します。労働者階級でもない、徹底した反体制でもない、無政府主義者共産主義者ではないビジネスマンとも言えます。

 

資本主義社会の恩恵を受け地位も財産も築きながら、心の中では常に他者に対する消極的オブジェクション(=賛成できない気持ち)や資本主義システムに対する潜在的クリティシズム(=心に秘めた批判)があるのですよアラン・パーソンズ・プロジェクトには。

 

こんな世界観は万人には愛されないでしょう。なんか鼻につくかもしれません。ロックファンや玄人筋からは全く評価されないでしょうね。またこんな世界観なんて深読みし過ぎで曲解だと思われる人もいるでしょう。もちろん単に「いい曲だねっ~」って気持ちでアラン・パーソンズ・プロジェクトの曲を聴くことに何の反対がありましょうか。それでいいんです!

 

でもあるアーテイストの世界観に深く共鳴できると曲やアルバムの魅力が大きく増すことも真実かなと思います。そして100や1000以上のお気に入りのアーティストがいても、世界観に深く共鳴できるアーティストとなると両手で数えられる以下の数になるのではないでしょうか?

 

アラン・パーソンズ・プロジェクトはそんな数少ないアーティストのひとつなんです、私にとっては。

 

で、やはりこの世界観の源泉はエリックの感じたこと、経験したことであり「資本主義の中で生きる矛盾した存在」とは彼自身のことなんですね。だから彼の曲(だけでなくアルバムコンセプトも)は個人的体験からインスパイアーされたものが多いと思います。たとえ極私的なエロスについての曲(=ラブソング)でもその視点はクールで達観していることが覗えます。辛辣な物言いでありながらもその眼差しは優しさにあふれている。このアンビバレントな世界観。この世界観を表現として蠱惑的にしているのは:

 

〇辛辣な歌詞なのにどこまでも透明で優しいエリックの声

〇徹底的に考え抜かれ磨き上げられたアランのポップス職人の技

 

なのですね。

 

今まで聴いたことのないアーティストのおすすめ曲とかアルバムはどれ?っていう質問はよく目にしますよね。アラン・パーソンズ・プロジェクトについて言えばやはり全10作すべてを聴いて欲しい。それがおすすめです。なぜなら傑作だけでなく、時には批判を受けたり低い評価を受ける作品もある映画監督の一連の作品群のように別々の作品(アルバム)が同じ世界観で繋がり、制作年の異なるあの作品(曲)とこの作品(曲)が意外なところで共鳴し新たな魅力を放ってくれるからです(言っている意味わかります?)。

 

と言いつつも、やはり絶対に聞いて欲しいアラン・パーソンズ・プロジェクトのアルバムは「アイロボット」です。このアルバムは次回以降じっくりと語っていきます。

 

そしてピンク・フロイドの歴史的ヒットアルバムからの「輸入」とそしてピンク・フロイドによる「逆輸入」という大胆な仮説についても!

 

では、次回もYou'll never walk alone!

 

 

 

 

 

 

 

アラン パーソンズ プロジェクト Alan Parsons Project を歩く ~中級・上級者向けAPP論 否定形の美学~

 「僕たちのやり方は最後まで一貫していた。基本的に作詞はエリックの仕事で、作曲も大半は彼が手がけた。」

 

以上のアラン・パーソンズの言葉からもわかるようにアラン・パーソンズ・プロジェクトにおける分業は作家(エリック)と編集者(アラン)のような関係性だったかもしれません。

 

で、今回「アラン パーソンズ プロジェクト Alan Parsons Project を歩く」第3回では作家エリック・ウルフソン(当時のレコードのライナーノーツは「ウールフソン」という表記)の世界観にちょっとだけ迫ります(全面的に迫るのは連載4回目以降です)。

 

早速ですがエリックの書く歌詞には「汚い」言葉はほとんど出てきません。「汚い」とは敬虔なクリスチャンが口に出来ないとか、今なら「Parental Advisory」のステッカーが貼られる内容ってことです。もちろん100%ないというわけではありませんけど少なくとも暴力的な、もしくは露骨な性的表現というものはないです。

*今から30年以上前、大学生だった頃に自分が演じなければならないウッディ・アレンの劇のスクリプト(台本)の録音を純真なクリスチャンの留学生にお願いしたら「これは言えない」「これもダメだ」が結構あって面白くも「そんなに英語って汚い言葉が多いの?」って思ったものでした(というかウッディ・アレンが書いたからかと後年気付く)。

 

では全く毒のない文部省唱歌みたいな内容かと言えばもちろんそんなことはなく、毒だらけなんですよ実はウッひっひっひっ(大丈夫かいオイ?)。

 

このエリックの歌詞に含まれる毒は、エリックが自身の体験を通じて感じていた、もしくはエリックが社会をその鋭い観察眼で捉えた他者やシステムに対する違和感が源泉になっているように思います。そういう意味ではエリックの歌詞にはピンク・フロイドロジャー・ウォーターズ)の世界観とも共通したものを私は感じてしまうのです。もちろんトーン&マナーはちがう。でも本質的には共通するような・・・。この世界観と思われるものについては次回書くとして、端的に言うと歌詞の内容がペシミスティック(厭世的)かつ時に辛辣なんだけど優しさに溢れているんですね(なんのことやら分かりませんね)。

*ちなみにエリックの世界観にロジャーの世界観と共通するものを感じる、というのはアランがピンク・フロイドのアルバムを「プロデュース」した(世間では「狂気The Dark Side of the Moon」ではアランはエンジニアだけを務めたと思われ、アルバムのクレジットも実際そうなっていますけど、あえて謙虚なアランに代わってこう書きます)こととは直接的には関係ないと思います。そもそも感じるのであって全く同じ世界観ではない。これについてもあらためて記事にします。

 

このことを象徴するかのようにエリックの書く曲には曲名が否定形になっていることが少なからずあります。

 

前回の「リードボーカル考」でまとめた一覧に沿って曲のタイトルが否定形(文)になっているものを全10作のアルバムすべてから列挙してみると:

 

〇 I WOULDNʼT WANT TO BE LIKE YOU (2作目「アイロボット」の2曲目)

〇  DONʼT LET IT SHOW (同上5曲目)

〇  CANʼT TAKE IT WITH YOU (3作目「ピラミッド」の5曲目)

〇  YOU WONʼT BE THERE (4作目「イブ」の4曲目)

〇  DONʼT HOLD BACK (同上7曲目)

〇  I DONʼT WANNA GO HOME  (5作目「運命の切り札」の4曲目

〇  NOTHING LEFT TO LOSE (同上9曲目)

〇 DONʼT ANSWER ME (7作目「アンモニア・アヴェニュー」の5曲目)

〇  YOU DONʼT BELIEVE (同上7曲目)

 

ざっと9曲にのぼりました。

 

10枚のオリジナルアルバムに収録された曲は合計92曲なので9曲というのは少ないように感じるかもしれません。でもタイトルが否定形でなくとも歌詞にやたら否定形が出てくる「アイ・イン・ザ・スカイ」のような曲もありますし、ほぼほぼ否定文と捉えていい「ガウディ」収録の「TOO LATE」のような曲もあります。アラン・パーソンズ・プロジェクトのレコード買って否定形のタイトル曲も見つけると「よっ!待ってました。」と高揚したり、はたまたホッとしたりと不思議な感覚になったものです。

 

それにしても「君のようになりたくない」とか「見せてはいけない(感づかれないように)」とか「(死んだ後まで)持って行けない」とか「あなたはいない」とか「帰りたくない」とか「失うものは何もない」とか「返事しなくていい」とか「あなたは私のことを信じてない」とか・・・このネガティブな世界にどっぷりと(箱根の温泉に入った気分で)心地よく浸れるかかどうかがアラン・パーソンズ・プロジェクトと長年付き合っていけるかどうかの分かれ目なのです(ほんとうかぁ?)。

 

まあ、唯一「DONʼT HOLD BACK」だけが否定文ながらポジティブな応援歌(「遠慮するな」「ためらうな」「踏み出せ」)になっているので文脈が他の否定文タイトル曲とは異なりますね。この曲はアルバム「イブ」の中にあることで大きな意味を持ってるとも思いますのであらためて「イブ」をご紹介するときに詳しく書きますね。

 

一方で否定文タイトル曲が収録されていないアルバムは:

 

1作目「怪奇と幻想の物語~エドガー・アラン・ポーの世界 TALES OF MYSTERY AND IMAGINATION」

6作目「アイ・イン・ザ・スカイ EYE IN THE SKY」

8作目「ヴァルチャー・カルチャー VULTURE CULTURE」

9作目「ステレオトミー STEREOTOMY」

10作目「ガウディ GAUDI 」

 

となります。

 

「怪奇と~」はポーの世界ですからね。「アイ~」は既に書いたようにタイトル曲の歌詞が否定文のオンパレードです。「ヴァルチャー~」はコンセプトアルバムではないかもしれませんけど、これはアルバムタイトルからもわかる通り否定「臭」プンプンです。問題は「ステレオ~」と「ガウディ」。「ステレオ~」はポーの世界とは言えないし「ガウディ」は遺物シリーズとして「ピラミッド」と同じ雰囲気を感じなくもない。この否定臭の弱さがこの両作品の共通点です。

 

それでも「ステレオ~」には巧みに否定臭がまぶされています。それもこのエリックの歌詞世界がもっとも際立つ表現方法で。これまたじっくりと論じたいと思います。で、「ガウディ」には実は「アイロボット」の世界観にもどったかのような曲もあるのです。いい意味で厭世的で、辛辣で、でも優しいエリック・ウルフソンの歌詞世界こそアラン・パーソンズ・プロジェクトの大きな魅力のひとつだと言えます。

 

では、次回もYou'll never walk alone!

アラン パーソンズ プロジェクト Alan Parsons Project を歩く ~中級・上級者向けAPP論 リードボーカル考~

どうせ誰もこんな最果ての地まで訪ねて来ないことをいいことに好き放題書いているアラン・パーソンズ・プロジェクト(読みやすいかと思いここから「・」を使用)論。さて第2回目は「リードボーカル考」です。

 

アルバムの楽曲群ごとにリードボーカルが変わるという方法論には色々な事情があるかとは思います。ここでいうリードボーカルが変わるというのは「この曲はジョンで次の曲はポールでそれからこの曲はジョージで、で次の曲はリンゴでね」というようなバンドメンバー内での持ち回りという意味ではなく、平たくいうとゲストボーカルを招へいするということですね。

 

この場合知名度の高いゲスト、人気のあるゲスト、旬なゲストをリードボーカルに加えるとアルバムの売り上げにも貢献大ということになるでしょう。

 

ただ楽曲に合っていないゲストに歌わせるとただのお祭り。まあ、あえてお祭りを狙った企画もあってロジャー・ウォーターズ Roger Waters のもと集結したスター達によってピンク・フロイドの傑作を再現したのが1990年作の「ザ・ウォール〜ライブ・イン・ベルリン The Wall Live in Berlin 」。シネイド・オコナー Sinéad Marie Bernadette O'Connor、シンディ・ローパー Cyndi Lauper、ジョニ・ミッチェル Joni Mitchell、ブライアン・アダムス Bryan Guy Adamsヴァン・モリソン Van Morrison。超豪華です。でも各楽曲に「あった」ボーカルかと言われると・・・。で最大の難点はザ・ウォールという世界観にあっているのかどうかです。ライブで体験する(1回限り。だからお祭り)と素晴らしいのでしょうけど、CDは何回か聴いて封印(買った当時の上司だったイギリス人からも「そんなもの繰り返し聞き続けられるのか?」と言われたけど・・・仰る通り)。

 

そういえば曲別ではなく1曲の中でリードボーカルを超ビッグネームが取り合う1985年作「ウィ・アー・ザ・ワールド We Are The World」も完全なお祭り。当時何度もMTVの映像としてテレビで流れたスタジオセッションにおいてブルース・スプリングスティーン Bruce Frederick Joseph Springsteenが登場すると洋楽好きの仲間と笑いながら真似したもんです。これはこれでいい。

 

こういうお祭りものでなくとも自身のアルバムにゲストボーカルを招いて成果をあげている(つまり楽曲との相性や世界観が合っている)ものは多くはないけど数々の例があるでしょう。例えば坂本龍一の「ハート・ビートHeartbeat」。本人が音痴、表現しきれないということもあるかもしれないですけど(でもしっかり2曲のリードボーカルを担当)まさに教授ならではの鋭い選球眼でリードボーカルをクリーンヒット。まあこのアルバムでの選び方には偶然もあったかもですけど、その中でも9曲目の「Borom Gal」でのユッスー・ンドゥール Youssou N'Dour のボーカルは絶品。教授の曲とのコンビネーションで唯一無二のサウンドとなってます(このアルバムで多用されているハウス的な手法だけではこの曲は生まれない)。

 

近年の作品で私が聴いたものでビッグネームをゲストボーカルに選びながら曲調や世界観とピタッと合って成功しているのはダフト・パンク Daft Punk の2013年作「ランダム・アクセス・メモリーズ Random Access Memories 」。ジュリアン・カサブランカス Julian Fernando Casablancas が歌う「インスタント・クラッシュ Instant Crush 」が「アイ・イン・ザ・スカイ Eye In The Sky 」に似ているとの声を聞くと(常に確信犯のダフト・パンクには偶然似ている曲を作るということはない。ネタへの愛があるのでただのパクリとはならずオマージュとなる)、ザ・ポリス The Police 1983年作「 見つめていたい Every Breath You Take 」に1982年作の「アイ・イン・ザ・スカイ」からの同時代的な影響を感じたことを思い出します(ただしアンディ・サマーズ Andy Summers はバルトークからの影響を口にしている。たしかに若き日のゾルタン・コチシュが弾くこのハンガリーの偉大で気難しい作曲家が東欧の民族音楽を「サンプリング」して再構成、創造した傑作曲群を聴く限りブルースを源泉としないロックの誕生を感じる。ここからパクれば(もといインスピレーションを得れば)テクノアルバムなら数百は作れる気がしてくる。なのでロバート・フリップ Robert Fripp 尊師に導かれたアンディの言い分にこれ以上ツッコミはいれないこととしましょ)。

 

もう、いいかげんにしろ!の声が聞こえてくるか、読むのやめてしまう人が続出でしょう(仮にこの記事まで辿り着けたとしたらですけど)。

 

さて2000文字を越えた前置きのあと、アラン・パーソンズ・プロジェクトです。アランもエリックもボーカリストとして十分な表現力を持っています。特にエリックは人間国宝。あの歌声はアラン・パーソンズ・プロジェクトのアイコン。天使の歌声はアート・ガーファンクル Arthur Ira Garfunkelの代名詞かもしれませんけど、専売特許ではない!と主張したくなるエリックの歌声の透明感。それは摩周湖バイカル湖も凌ぐ透明度です(なんのこっちゃ)。

 

ただエリックのリードボーカルは5作目の「運命の切り札 THE TURN OF A FRIENDLY CARD」まで待たねばなりません。タァ~~~イム。そうするとエリックというアイコンを持ちつつアラン・パーソンズ・プロジェクトの全アルバムを貫く表現フォーマットの最大の特徴の一つとなっているものはやはり曲ごとにリードボーカルが変わるマルチリードボーカル制。

 

さて今回この記事を書くのにあたり、1作目の「怪奇と幻想の物語~エドガー・アラン・ポーの世界TALES OF MYSTERY AND IMAGINATION」から最終作の「ガウディGAUDI」までの全曲のすべてのリードボーカルを担当したアーティストをデータベース化し各アルバムの売り上げと各ボーカリストの登場回数との相関係数を得るために重回帰分析を行ってみました(大ウソです)。

 

さてさて実際は全曲を担当した各リードボーカルを一表にしただけです。で以下の発見(大袈裟)がありました。

 

〇 10枚の全アルバムに登場したリードボーカルは26人。(注1)

〇 のべリードボーカルは73人。

〇 輝かしい最初のリードボーカルは1作目の「怪奇と幻想の物語~エドガー・アラン・ポーの世界」の2曲目「The Raven」でのアラン・パーソンズで最後のリードボーカルは10作目で最終作の「ガウディ」の6曲目「 INSIDE LOOKING OUT」でのエリック・ウルフソン!(注2)

〇 リードボーカルを担当した回数が一番多いのはエリック・ウルフソンで13回。

〇 以下レニー・ザカテク Lenny Zakatek 12回、ジョン・マイルズ John Miles と同数3位のクリス・レインボー Chris Rainbow が8回。これまた同数4位のデヴィッド・ペイトン David Paton とコリン・ブランストーンColin Blunstoneの4回と続きます。(注3)

〇 全アルバムでリードボーカルをとっている皆勤賞アーティストはゼロ。最多はレニー・ザカテク で1作目の「怪奇と~」と9作目の「ステレオトミー STEREOTOMY」を除く8枚のアルバムでリードボーカルを担当。(注4)

〇 曲ごとにリードボーカルを変える形式を遵守するアラン・パーソンズ・プロジェクトでは連続した曲で同じアーティストがリードボーカルをとることはないのが普通。この名誉ある例外がジョン・マイルズとクリス・レインボーの二人。ジョンは「怪奇と~」の4曲目「 THE CASK OF AMONTILLADO」と5曲目「(The System Of) DOCTOR TARR AND PROFESSOR FETHER 」と連続して歌う。そしてクリスは「運命の切り札」の6曲目「THE TURN OF A FRIENDLY CARD (I) THE TURN OF A FRIENDLY CARD (PART ONE)」と7曲目「THE TURN OF A FRIENDLY CARD (II) SNAKE EYES」と連続して担当。(注5)

 

(注1)リードボーカルの定義はアラン・パーソンズ・プロジェクトの公式サイトのクレジットに基づいています。なのでEMIボコーダーも「ひとり」としてカウント。

(注2)「The Raven」でのリードボーカルアラン・パーソンズひとりではなくロミオを演じたレナード・ホワイティング Leonard Whiting との共同クレジット。ボコーダーもクレジットしているところにアランの照れを感じます。

(注3)ここでは公式サイトのクレジットに基づいて集計したためクリス・レインボーのリードボーカル担当は8回となっているものの「イブ」の8曲目の「SECRET GARDEN」での”One-Man Beach Boys"をリードボーカルとしてカウントすると単独3位に躍り出ます(実際公式クレジットではこの曲にはInstrumentalという表示がない。「アイロボット」の1曲目「 I ROBOT 」にはSoprano Vocal としてヒラリー・ウエスタン Hilary WesternがクレジットされているもののInstrumentalとなっている。まあクリスが人間楽器化して全編ですんばらしいメロディ&ハーモニーを奏でてますから)。

(注4)ステレオトミーの5曲目IN THE REAL WORLD 」のリードボーカルはジョン・マイルズではなくザカテクにすべきだった。この数少ないアラン・パーソンズ・プロジェクトらしからぬアルバムの穴埋めのような曲も今少し魅力的になったかもである。次に続くインストのWHERE’S THE WALRUS?」がこれぞアラン・パーソンズ・プロジェクトといった素晴らしい出来栄えなので余計にそう思えてしまう。

(注5)「THE TURN OF A FRIENDLY CARD 」という組曲の内かもしれませんけど明らかに別の曲。アラン・パーソンズ・プロジェクトの「特注楽器」と私が命名するクリスが曲調が全く異なる連続する2曲を素晴らしい歌唱で表現しています!最高っす。

 

さてさて、以上のような曲ごとにリードボーカルを変えるというアイディアはどこからきたのでしょう?これはやはり「アラン・パーソンズ・プロジェクトアラン・パーソンズとエリック・ウルフソンの二人」であり、誰も割って入ることのできない二人のパートナーシップからきているのだと思います。

 

仕事でもプライベートでもパートナーシップが長続きする秘訣はお互いの役割が重ならないで補完しあいながら、同じ目標を目指す関係を維持できるかどうかに掛かっています。「俺がやりたいこと」「私がやりたいこと」が同じだと喧嘩が絶えません。また「やりたい」ことが「得意なこと」とズレているといずれプロジェクトは破綻します。

 

アランは若いころからすでに技術的にもアイディア的にも素晴らしいエンジニアでありプロデューサーでした。そして彼の素晴らしさはいろいろなオプション(選択肢)を前に「決める」ということ、つまりある意味モノを作る(創造する)すべてのリーダーに求められるこの「決定する=他の案を捨てるリスクを引き受ける」役割を見事に果たせることにあると思います。

 

一方エリックはコンセプトを閃き、歌詞を書き作曲し鍵盤を奏で自身の声で歌を表現できるクリエーターとしての役割を担える天賦の才がありました。

 

同じ目標を目指すためのいい意味での「衝突」はあっても二人はお互いの領分を侵さず尊重し合える関係性(たんなる関係とは違う意味であることに注意!)を創作という戦場で最初から最後まで維持できた理想的なクリエイティブパートナーだったのですね。最高のクリエイティブディレクターとデザイナーの理想的な関係性とでも言えましょうか(ちょっと例えとしてスケールが小さくなったような)。

 

平たく言えばエリックには自分の蒔く種(アイディア)を枯らさずに開花(実現)してくれる人が必要でアランには人々を魅了する花(作品)を咲かせる種をまき続けられる人(アーティスト)が必要だったわけです(もうちょっといい表現があったはず・・・)。

 

なのでエリックはより魅力的な花になるなら自分で歌うより他のアーティストに歌わせることに(そもそも彼は優秀なソングライターとして他のアーティストに曲を提供していたし、ミュージカルやオペラとの接点もあったので)に抵抗はなかった。抵抗はないどころか、自分が作り出す曲すべてに自分の歌唱が最善だとは思ってなかったはずだし、他のアーティストに歌わせることにコンセプトから創造する表現者としての醍醐味も感じていたと思う。まあアラン自身が当初はエリックの声や歌唱にリードボーカルとしての魅力を感じていなかったことも影響してるかとは思いますけど。

 

ある意味ではアラン・パーソンズ・プロジェクトのアルバムはミュージカルやオペラのようなものと考えればマルチリードボーカル制をとったこともすんなり腑に落ちる。ってそんなに難しく考えなくても一粒で2度美味しい以上のお得感がありますよマルチリードボーカル制には・・・とは言いたいところですけど各作品を聴き始めた当初からほとんどのリードボーカルを担当しているアーティストのことは知らないんですね私(今もほぼ同様)。

 

それなのにアラン・パーソンズ・プロジェクトのマルチリードボーカル制は私の心を捉えました。実にキャスティングが上手いんですわ。曲の表情に合わせて絶妙に配役を変える巧みさに脱帽。各演者も個性派ぞろい。つまり過去や当時どんなバンドに属していたかとかソロとしての活動実績などのネームバリューとは関係なく演者の魅力をバイアスなしに感じることができたわけで、これは私にとっては幸せだったように思います。

 

では当のアラン・パーソンズはどのようにしてリードボーカルを決めていたんでしょうか?これについては彼への貴重なインタビューがあります。

 

「僕たちのやり方は最後まで一貫していた。基本的に作詞はエリックの仕事で、作曲も大半は彼が手がけた。そして曲がかたちになったところでミュージシャンを集めるのは僕の仕事だった。ミュージシャン選びの基準は、楽曲に相応しいかということ。あとは - これが大切なんだけれども - 引き受けてもらえそうな相手かどうかだった」レコード・コレクターズ2008年12月号

 

上記のインタビューではミュージシャンとなってますけどこれは、ほぼほぼリードボーカルとイーコールと考えて差し支えないと思います(なぜならこのインタービューの前後に出てくるのも「誰に曲を歌ってもらいたかった」って話なので)。

 

後々アラン・パーソンズがビックネームになっても作品への「出演交渉」は彼自らやっていたし、必ずしも希望通りにはいかない場合もあったようです。そもそも依頼したのに断られる理由には色々あると思います。

 

1)本人が(APPでは)歌いたくない。

2)本人がOKでも回り(マネジメント)が歌わせたくない。

3)単にスケジュールが合わない。

4)APPで歌うことはOKだけど依頼された曲は歌いたくない。

5)APPのことを知らない。

 

1)には色々なパターンがあるでしょうね。「アイロボット」を論じるときにまた書きますけど、リードボーカルではないけどナレーションを依頼したら「またね、今度ね」とはぐらかされた(断られた)ポール・マッカートニーのような例とか。

 

2)はあったんでしょうねと想像。

3)は本人も言っているコリン・ブランストーンにアルバム「アイロボット」で歌って欲しかったんだけどスケジュールが合わず実現しなかった例。もし実現していたらコリンがリードボーカルを担当すべきはどの曲だったのか・・・「絶対はずせないAPPのアルバム=アイロボット論」で詳しく触れます(いつやるんだ?そんな特集)。

4)は前述の坂本龍一のアルバム「ハートビート」1曲目表題曲でネナ・チェリーNeneh Cherry にボーカルを依頼したら「あなたの映画音楽は好きだけどこの曲は歌いたくない」ってやつですね。APPではあったのか?こんな例は。

5)そんなアーティストはいない!

 

とまあ、当たり前のようで奥深いのがこの「引き受けてもらえそうな相手かどうか」っていう選考基準です。ラップトップで曲を作るのとはわけが違う。生身の人間同士の駆け引きと交渉と想い。プロデューサーとしてのアラン・パーソンズの凄さがここにあるんですねぇ。

 

このようにして選ばれし総勢26人のべ73人(ボコーダーも入っている!)の歌声の魅力や楽曲との相性評価を今後、じっくりとやっていきます。もちろんリードボーカルはアランパーソンズプロジェクトの魅力の一つに過ぎませんので他の部分も延々(連載100回以上の予定か?)とやりますよ。

 

では、次回もYou'll never walk alone!

 

 

 

 

 

 

 

アラン パーソンズ プロジェクトAlan Parsons Projectを歩く ~中級・上級者向けAPP論 序章~

色々と散歩道をご紹介・・・なんて柄にもないこと書いていたら続かずいつの間にか1年の時が過ぎ世の中の状況も大きく変わりました。もはや無理してもしょうがないので(?)好きなことを書くと決めて、まずは「音楽を歩く」のテーマを飛び越えて、いきなりアランパーソンズプロジェクトです。

 

タイトルにもあるようにこれはアランパーソンズプロジェクトを聴いたことがあるだけでなく、好きで好きでしょうがないと思っていらっしゃる中級者以上向けの記事になっています(なんで上から目線?)。よって初心者の方はここで離脱いただくか「何言ってんのこのオヤジは?ちょっと懲らしめてやろうか」と思いながら読み進めて頂いても結構です(ますます意味わからんなぁ~)。

 

今回の「アランパーソンズプロジェクトを歩く」の特集(勝手に特集になっています)は多分ほっといたら100回くらい回を重ねるかもしれないのでどなたか適当なところで止めてください(はぁ?)。

 

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しかし、なんだよこれ。アルバム10作目(しかもラストアルバム!)にして「ビートルズピンク・フロイドのエンジニアをも手掛けた」ってレコードの帯の宣伝文句。レコード会社からしてアランパーソンズプロジェクトの価値を分かっていない。



 

とまあ、長期連載の前にまずは書き手の立ち位置のようなものを書き留めておきます。

 

1.事実(ファクト)と主観を明確に書き分けます。ファクトは文字通りの意味です。嬉しいことにアランパーソンズプロジェクトは公式サイトにおいて発表されたアルバムのエピソード、歌詞、クレジットなどを誰でもアクセスできる情報として公開してくれています。このサイトに書かれていることはすべてファクトです。一方でそれ以外のことはすべて主観(私がどう感じたか思っているのか、どう解釈したか等)ですね。

 

2.よって主観には正解も間違いもないので、これは裏を返すと私の主観が偶然にも他の方の主観と正反対でもそれはその方の主観が間違いという意味ではないです。

 

3.この連載ではマニアックな情報は期待しないでください。例えばレニー・ザカテクLenny Zakatekがいつからどのようにしてアランパーソンズと仕事をするようになったのか?とかジョン・マイルズはなぜ1979年作「イブEVE」から1984年作「ヴァルチャー・カルチャーVULTURE CULTURE」までのアルバムには参加していないのか?などは語りません。アッ~でも場合によるかなぁ~?(どっちなんだよ)

 

4.お分かりのように私は自分がどのようにアランパーソンズプロジェクトのアルバムを聴き込んで感じたか解釈したを書きたいのであってマニアを「へぇ~」と言わせたいわけではありません。よって私が書くことは全て当時発表された音源についてであり、ボーナストラックがどうしたとか、未発表曲がどうしたとか、ボックスセットがどうしたというようなことはこの連載には出てきませんのであしからず(持たざる聴かざるなので語らず、です)。*蛇足ながら付け加えるとマニアックな語りはコレクター気質(すべて持たざるはたとえ一つの欠けでもゼロに等しい)の方の特権で私はみうらじゅん氏がいうオレ・カルマに囚われた「語っている自分」マニアかもしれません。恥ずかしい。

 

5.よって私が語るアランパーソンズプロジェクトは公式サイトに掲載されている1976年作「怪奇と幻想の物語 エドガー・アラン・ポーの世界 TALES OF MYSTERY AND IMAGINATION」から1987年作「ガウディGAUDI」までの10作品となります。っていうかこれがアランパーソンズプロジェクトの全作品ですよ。なぜならアランパーソンズプロジェクトは・・・のちのち。

 

というわけで始まります。次回はアランパーソンズプロジェクト「リード・ボーカル考」です。ちなみにアランパーソンズプロジェクトにおいてリードボーカルをまかされた回数が第2位のアーティストは誰でしょう?1位はもちろん・・・。

 

では、次回もYou'll never walk alone!

 

 

 

 

 

 

 

新サバイバル・マニュアル 鎌倉に住んで考える「いざ」への備え その①

「あるきデス」ってタイトルの割には自転車の移動が大半の筆者。そう、自転車が大好きなんですけど(ちなみに以前も書いた通り車の所有経験なし)、それに加えて好きなのが映画・・・というのは過去記事を読んでいただければ分かると思います。

 

まあ、映画のことは追々書くとしてもうひとつ好きなのがコーヒー・・・これも今まで記事にしましたね。今回の「好き」はサバイバルについて考えることなんです。

 

通常サバイバルっていうのは生死を分かつ過酷なアウトドア状況の中で生き残る・・・って意味合いではないかとおもうのですけど、私はもっと緩やかな意味合いでこれを捉えています。違う言い方で言えばもっとリアリティ即した意味でとお考えいただいても差し支えありません。

 

これはどういう意味かというと巷で売られている「サバイバル本」の内容を引用すると分かりやすいかと勝手に思ってます。

 

例えば、サバイバルについて書かれている書籍は大抵の書店ではアウトドアや登山のコーナーに置かれています。で内容としては「火を起こす方法」とか「水や食料を確保する方法」なんかが書かれています。

 

生死を分かつアウトドアの状況・・・無人島に流された、ジャングルや砂漠で迷った、まあそれほどの状況でなくともハイキングで迷って一夜を山中で過ごさなければならない・・・なんて状況なら役立ちそうです。

 

でも、あなたが一生の間で無人島やジャングルや砂漠で迷う確率はそう高くないように思います。追々また書きますけど、低山ハイキングで迷ってしまう確率は前者よりぐっと高くなるかもしれません。ただしそれは迷うべくして迷った、つまり迷わないようにすべく準備が足りなかったことをほとんどの場合意味します。

 

そう、ここで大事なのは過酷な状況で生き抜くためのスキルの習得のより先に過酷な状況を常に回避しようとする準備なのです。

 

なので私がいう「サバイバル」とは:

① まずは過酷な状況に陥ることを避ける

② より確立の高い過酷な状況に常日頃から準備する

③ もし過酷な状況になっても出来るだけの快適さを維持する

ということになります。

 

なお上記の概念を拡大すると「リストラで仕事を失う」なんていうのも「過酷な状況におけるサバイバル」の範疇になりますけど、ここではまず災害や事故や犯罪が引き起こす過酷な状況からサバイバルすることに絞りますね。

 

さて先ほどに挙げたサバイバル本をパラパラとめくると大体の自然災害が触れられています。例えば:

 

津波

地震

〇雪崩

〇暴風雪・雷雪

〇竜巻

〇ハリケーン・台風

〇大雨

 

などです。

 

上記は主にクリント エマーソン氏の著作「アメリカ海軍SEALのサバイバル・マニュアル 災害・アウトドア編: 日常のトラブルから絶体絶命のピンチまで」を参考に列挙しました。氏の著作からは海軍の特殊部隊仕込みのノウハウが学べて楽しいのですけど「現実的に使う場面あるかな~?」って感じです。まあ、私自身としてはノウハウ本というのは全面的に役立つなんて期待せずに幾つかの学びや発見があれば儲けものと考えあとはお財布と相談して購入するかどうかお考えくださいと言わせて頂きます。この本には「へえ~そうなんだ。」という情報が幾つかありますので読んで損はありません。

 

さて日本に住む、海にも山にも囲まれている鎌倉という土地に住む私の立場からより現実味のある(遭遇する確率の高い)と思われる(すべてを経験したわけではないので推測も入らざる得ない)自然災害について以下に軽く触れます。

 

① 猛暑

これが自然災害か?と思われるかもしれませんけど近年の異常なまでの暑さと熱中症の発生件数の増加を考えるともうこれは災害と言えます。本当の恐ろしさはなんらかの事故や地震などと重なって停電したときに我々を守ってくれている空調設備が使えなくなった時の猛暑の(特に都市部での)暴力性にあります。例えば先日は発生した京成電鉄での停電事故。エアコンの効かなくなった車内に閉じ込められる、ということは砂漠で迷ったときにどうすべきか?ということ以上に私たちが常日頃から想定しておかなければならないことでしょう。

 

② 大雨

これはかっては台風とセットになっていたかもしれませんけど、いまやゲリラ豪雨という突発かつ局所的なイメージを越えて「どこでも何度でも起こりえるかって経験したことのないような大雨」と定義できるように思います。大雨の怖さはそれが原因で誘発される土砂崩れ、鉄砲水、河川氾濫、山林崩落、土石流など多岐にわたり、自身が現在いる場所の雨量が多くなくても、また既に雨が止んでいても常に警戒と準備が必要な災害です。

 

③ 津波

この恐るべき災害の特徴は実に多種多様な発生また襲来パターンがあるということです。必ずしも地震がなくても発生することも覚えておくべきことでありますけど、「このような前兆があったら」とか「津波はこんなパターンで襲ってくる」とかの前例や知識が全く通用しないほど時と場所によって自然現象としての様相が違うことがあります。この辺りの津波の特徴を見事に記録した吉村昭氏の「三陸海岸津波」をぜひご一読ください。

 

④ 地震

「ある一定期間内に発生する回数」という観点から言えば地震は体に感じないレベルのものを含めると私たちが季節を問わずに日常的に経験している自然現象であるかもしれません。1番目に挙げた「猛暑」と重なって首都直下地震が来年の東京オリンピック開催時期に発生したら・・・こんな悪夢なような状況も決して現実離れした妄想とは言えないことを前提に準備が必要です。また地震は建物の崩壊や誘発された火災が怖いとの印象があります。それはその通りですけど、人口密集地の場合にはそれ以上に悲惨な状況が起こりえることを知っておくべきかと思います。これについても吉村昭氏の「関東大震災」が生々しい克明な現実を伝えてくれていますのでご一読されることを強くお勧めします。

 

⑤ 火山の噴火

 日本全土におよぶカタストロフィとしては想像さえもしたくない自然現象ではありますけど以下の気象庁のデータによると日本全国の活火山の数は現在111となっています。常に何処かの火山から噴煙があがったり小規模な噴火があったりと、これまた地震と同じく継続的な自然現象です。噴火による災害の特徴はその噴火規模による被害地域の広大さと火山灰による長期にわたる被害の継続が挙げられます。

 

 *国土交通省 気象庁ホームページより引用

⑥ 落雷

確率的に言えばそうそう被害に遭いそうにないイメージのある雷ですけど、割と自分の近くに落ちた経験をお持ちではないでしょうか?まだ完全にメカニズムは解明されていなようですけど屋外、とくにスポーツ活動やアウトドア活動中には最も警戒すべき自然災害であると思います。とにかくこまめに気象情報を確認して早めに屋内への退避行動をとるべきです。落雷は待ってくれません。

 

以上のような自然災害を前提とした「サバイバル」について2回目以降書きたいと思います。

 

では、次回もYou'll never walk alone!

 

 

 

 

鎌倉の切通。夏でもヒンヤリとする秘密

雨続きでしたけどようやく夏晴れになるんでしょうか?

 

7月10日にあった鎌倉花火大会の鑑賞穴場スポットについて実地検証したので書こうかと思っていたのですけど、さらなる実地検証を行ってからにしたいと思います(キリッ!)。

 

さて今回は私が今まで何十回とも言えない以上に上り下りしている「亀ヶ谷坂切通」について。

 

その急さから亀も登ろうとしてひっくり返ったとか引き返したとか・・・言い伝えがあるらしいです(個人的には亀がバランスを崩してひっくり返った方がリアリティがあります)。

 

さてこの坂へのアプローチは北鎌倉方面からなら県道21号線(横浜鎌倉線)を建長寺方面に進むと右手に長寿寺(とても美しいお寺ですけど一般拝観は特別な時期を除いて出来ません)が見えるのでその横の坂道を上ります(車は通行不可)。

 

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この案内板が目印。

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長寿寺の山門への石段。

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坂の登り口左手にはこのような親切な案内板もあります。あまり坂の雰囲気と合っているとは思えませんけど・・・。



 

上記の北鎌倉方面からだと坂道の勾配はそれほど急ではありません。逆に鎌倉駅方面から来ると、この切通の勾配の急さを存分に感じられます。

 

今から20年以上前に初めてMTB(マウンテンバイク)を買ってこの亀ヶ谷坂を上ろうとしたら前輪が空回りして進めませんでした。ちょうど雨が降った後で路面が濡れていたのです。登れなかったのはこれ1回だけ。MTBの車体の軽さに応じた乗り方を習得してそれ以来この坂を上っています。

 

1度、坂を上り切ったところに中学生ぐらいの男の子が数人自転車と共にいました。私がいつものように立ち漕ぎせずに(勾配が急な坂でMTBでこれをやると前輪が浮いて漕げなくなる)亀ヶ谷坂を上りきるとその中の一人が「頑張ってください」と声をかけその後私の背中の向こうから彼らの拍手が聴こえてきました。それほど彼らにも急な坂だったのでしょう(今頃とっくに彼らも成人して立派な大人になっているんだろうなぁ)。

 

さてこの坂を上るご褒美はこのような幸せな出会いは稀ですけど、そこを通り抜ける自然のクーラーとも言える風なら高い確率で出会えるでしょう。本日も北鎌倉方面から自転車にて上ってきたのですけど途中までは日差しを背負って暑いです。でも坂の頂上の手前から日陰になり、その空気の流れる涼しさと気持ちよさといったら・・・。どんな扇風機も敵わない涼風です。アッ~気持ちイイ!!

 

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坂の頂上から鎌倉駅方面を見下ろす。涼風を感じられますか?

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ただここの切通も通行可ではあるものの他の切通と同じく危険はありますのでご注意を。Walk through at your own risk!


 

皆さんもぜひこの夏の涼風体験@鎌倉をお楽しみください。

 

 

では、次回もYou'll never walk alone!

鎌倉のビーチで楽しむ宝探し


本日は鎌倉の海岸で人気のビーチコーミングをご紹介。鎌倉の海で人気といっても私自身統計を取った訳ではないので、どの程度の方が楽しんでいるかは分かりませんけど、波打ち際を歩きながら「探し物」をしたり拾い上げたりしている人達を結構見ますね。

 

まあ、私もその一人です。ちなみにビーチコーミングは英語ではbeach combingの二文字になるようです。combは名詞で「くし」という意味。動詞なら「(髪を)くしですく、とかす」等の意味がありますけど、波打ち際で漂流物を観察する・収集するという意味でのビーチコーミングの定義に近いのはcombが口語として使われる場合の「(警察などが)(場所を)(・・・を求めて)くまなく探す、念密に捜査する」が一番しっくりくるように思います。*自動詞だと「(波が)波がしらを立てて巻く、うねる、砕ける」の意味もありますのでもともと波と近い言葉なんですね。

 

さて、難しい話は置いておいて、鎌倉の波打ち際での宝探し=ビーチコーミングについて。自分のお気に入りの漂流物を拾い集めるのです。鎌倉の気持ちのいい風と空気に包まれて「美しい」ものを発見する悦び・・・しかもタダ(ここが一番大きいかも)!

 

私のターゲットは二つ。陶器の破片とシーグラスです。

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鎌倉の海岸では男女の出会いだけでなく、小さな美しきものとの出会いもあります。


 

陶器の方は確かに古いものが流れ着いているように思います。どの程度古いものかは確証はないですけど、私の(あまり当てにならない)骨董経験から判断すると江戸時代の染付陶器が多いように思います。

 

シーグラスはガラス瓶などの破片が海の波で長年揉まれることで角の鋭さがとれて丸くなり、透明度も落ちて曇りガラスのような風合いになったものです。ポップなカラーの砂糖菓子のようにも見えますね。

 

この陶器の破片とシーグラスの二つのお宝ものを拾えるのが鎌倉の海岸。場所はズバリ由比ガ浜がベスト。私自身、東から材木座海岸由比ガ浜→稲村ガ崎と歩いてみましたけど、由比ガ浜、特に滑川の河口寄りの付近に質のいい漂流物が多くベストなように思います。

 

ただ海岸は常に変化しているので私の経験も古くなっています。今はまたベストな収集場所も異なるかも知れません。でも、やはり由比ガ浜は歩くだけでも気持ちよく人気のスポットであるのは変わりないですね。

 

あと、気温が上がってからは晴天より曇っている日の方がビーチコーミングにはいいかもですね。太陽に体力を奪われないですから。まあ、季節としては春秋がいいでしょうね。海水浴シーズンには人混みで・・・ってこともあります。

 

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鎌倉駅方面から歩くこと約20分。若宮大路を真っすぐ南に向かって歩くと海が見えます。そこが由比ガ浜

 

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ローカル・ルールを読んで快適に遊びましょう。

 

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海に向かって左手に見える滑川に橋が架かっている!これで材木座方面にも足を濡らさずに渡れます。

 

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誰もいないビーチ(本当は遊んでいる人もいますけど映らないようにパチリ)。由比ガ浜からは稲村ガ崎もあるので江の島は見えません。

 

 

 

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これはサザエ?貝殻は専門外でございます。

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ライター。漂流物?ポイ捨てのゴミ?ガスも残っているようですね。このような人工物には注意。もちろん自然のものにも危険なものがあります。

 

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玉ねぎ。今夜はカレーだぁあ??

 

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フグ?拾って食べようなどと思ってはなりませぬ。あくまで観察観察。

 

では実際に収集した陶器の破片とシーグラスをご覧ください。

 

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こんなのや・・・

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こんなやつとか・・・

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こういうのを沢山集めると・・・・

 

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こんな感じになります。

 

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この陶片なんか薄手の造りで絵付けの上品さもあって完品だといいお値段で売られていそうです。江戸期のお茶碗か蕎麦猪口か・・・?

 

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こうやって並べて眺めながら、完品だとどんな陶器なのかを想像してみるのも楽しいですね。

 

 

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こちらはシーグラス。角の丸まり具合や表面の曇り具合からギリギリ、ガラス片ではなくシーグラスと呼べそう・・・ってレベルでしょうか。

 

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こちらはガラス瓶に入れて飾ってあります。

 

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この写真だと実物の何とも言えない質感が伝わり辛いかなぁ~。

 

 

鎌倉の海に抱かれていた陶器とガラス。それが長年の時を経て私たちのもとへ届けられる。過去からの贈り物。どうぞ皆さまもお楽しみくださいませ。

 

では、次回もYou'll never walk alone!