あるきデス

50代からの毎日の歩き方from鎌倉。Rock your life! ジタバタしたっていいじゃないか!

アラン パーソンズ プロジェクト Alan Parsons Project を歩く ~中級・上級者向けAPP論 「君のようにはなりたくない」という世界観~

アラン・パーソンズ・プロジェクトとの出会いを時系列に語っても誰もそんなことには興味ないと思います。あまりはっきりした記憶もないし。

 

というか気づけばどっぷりとアラン・パーソンズ・プロジェクトの世界にハマってしまっていたんですね。

 

でもそのきっかになったアルバムは間違いなく「アイロボット」です。このアルバムに私を引きずり込んだのは - いや、というよりアラン・パーソンズ・プロジェクトの世界に私を引きずり込んだ - のは以下の曲です。

 

I WOULDN’T WANT TO BE LIKE YOU

If I had a mind to
I wouldn’t want to think like you
And if I had time to
I wouldn’t want to talk to you

I don’t care
What you do
I wouldn’t want to be like you

If I was high class
I wouldn’t need a buck to pass
And if I was a fall guy
I wouldn’t need no alibi

I don’t care
What you do
I wouldn’t want to be like you

Back on the bottom line
Diggin’ for a lousy dime
If I hit a mother lode
I’d cover anything that showed

I don’t care
What you do
I wouldn’t want to be like you

I don’t care
What you do
I wouldn’t wanna

I wouldn’t want to be like you
I wouldn’t want to be like you

 

それにしても「君のようにはなりたくない」(いや英語のニュアンスからしたら「絶対に君のような人間にはなりたくない」って感じでしょうか。)っていうのが曲のタイトルとはまさに衝撃そのものでした。

 

最初にこの曲を聴いたとき、私は大学生で「英語研究会」なるサークルで「はやく英語が喋れるようになりた~ぃ」と毎日毎日妖怪人間ベムのように叫んでいたのを思い出します(多少脚色あり)。で同じサークル仲間で洋楽好きの友人と一緒にこのレコードを聴いたとき(当時はレコードプレーヤーが私の下宿にはなくこの友人に自分が買った「アイロボット」のアルバムを持ち込みカセットテープにダビングしてもらっていた。← この意味わかります?)二人してウケにウケまくったのを覚えています。「なんか俺たちの気持ちをこんなにも代弁している曲があるなんて!」と言った(か言わないか)・・・とにかくこの強烈な「世界観」に一瞬に取り込まれてしまったのです。

 

それはエリック・ウルフソンの書いた究極のネクラ&ネガティブ思考の歌詞が、ものすごくファンキーで攻撃的なリズムとメロディにのってグイグイ迫って来る、しかもそれがレニー・ザカティク(ザカテク)のこれまた「アイロボット」というアルバムタイトルとは対照的な肉体的かつ煽情的なボーカルによってロック以上に魂を揺さぶるように歌われるのです。ヘンだよ、これ!すごいヘンな世界だよ、これ~!でも凄ーく、いいぜこれ!・・・という衝撃でした。

 

さて、今回のキーワードの「世界観」とはなにでしょうか?まあ、人それぞれの定義があると思いますけど、ここでは「世界観=誰の立場からどのように事象や他人を観ているのか」となります(とします)。

 

音楽の世界観は必ずしも歌詞だけで作られるわけではないと思います。それはリズム、メロディ、テンポ、音色という作曲の面も大きく影響します。そしてアーティスの表現技術や技量も大きく影響するのです。

 

例えば今や誰も知らないと思われる(?)カーターUSM Carter the Unstoppable Sex Machineというバンドがありました(おいおい今もあるぞ)。彼らのアルバムに1992年作「1992愛のアルバム 1992 The Love Album」というアルバムがあります。最近このアルバムを久しぶり(20年ぶり?)に聴いていて思ったのは、彼らは実はピンク・フロイドの(というかほとんどロジャー・ウォーターズのソロプロジェクトと化した)1983年作の「ファイナル・カット The Final Cut 」あたりの世界を作りたかったのではと思いました。まあ、両者は立ち位置が異なるのでまんまその世界とはいかない。それよりも一見、演奏も歌もヘタクソなロジャー・ウォーターズはそれを補って余りあるプロデューサーとしてアーティストとしての表現技術と世界のトップバンドとして君臨し続けた経験に裏打ちされた聴衆の心をつかむ奥義を身に着けているのですね。対してカーターUSMは「やりたいこと」に「出来ること」が追い付いていないという印象が、今回の久しぶりの視聴でも強くなりました。まあ、しょうがない。

 

それに対してアラン・パーソンズ・プロジェクトは盤石です。立川直樹氏が名付けた「ポップのデザイナー」のアラン・パーソンズと稀有のコンポーザーでありシンガーであるエリック・ウルフソンの組み合わせなのですから。「表現できること」が「表現したいこと」に追いつかないなんてことは絶対にありません。

 

ではアラン・パーソンズ・プロジェクトの世界観って何かと言うと、独断と偏見で言い切るならそれは「中産階級の資本主義社会に対する違和感と疎外感」なんですね。もはや死語だと思われる中産階級とは、「当面のお金には困っていないある程度の職業地位にいるホワイトカラーワーカー(これも死語か)」を意味します。労働者階級でもない、徹底した反体制でもない、無政府主義者共産主義者ではないビジネスマンとも言えます。

 

資本主義社会の恩恵を受け地位も財産も築きながら、心の中では常に他者に対する消極的オブジェクション(=賛成できない気持ち)や資本主義システムに対する潜在的クリティシズム(=心に秘めた批判)があるのですよアラン・パーソンズ・プロジェクトには。

 

こんな世界観は万人には愛されないでしょう。なんか鼻につくかもしれません。ロックファンや玄人筋からは全く評価されないでしょうね。またこんな世界観なんて深読みし過ぎで曲解だと思われる人もいるでしょう。もちろん単に「いい曲だねっ~」って気持ちでアラン・パーソンズ・プロジェクトの曲を聴くことに何の反対がありましょうか。それでいいんです!

 

でもあるアーテイストの世界観に深く共鳴できると曲やアルバムの魅力が大きく増すことも真実かなと思います。そして100や1000以上のお気に入りのアーティストがいても、世界観に深く共鳴できるアーティストとなると両手で数えられる以下の数になるのではないでしょうか?

 

アラン・パーソンズ・プロジェクトはそんな数少ないアーティストのひとつなんです、私にとっては。

 

で、やはりこの世界観の源泉はエリックの感じたこと、経験したことであり「資本主義の中で生きる矛盾した存在」とは彼自身のことなんですね。だから彼の曲(だけでなくアルバムコンセプトも)は個人的体験からインスパイアーされたものが多いと思います。たとえ極私的なエロスについての曲(=ラブソング)でもその視点はクールで達観していることが覗えます。辛辣な物言いでありながらもその眼差しは優しさにあふれている。このアンビバレントな世界観。この世界観を表現として蠱惑的にしているのは:

 

〇辛辣な歌詞なのにどこまでも透明で優しいエリックの声

〇徹底的に考え抜かれ磨き上げられたアランのポップス職人の技

 

なのですね。

 

今まで聴いたことのないアーティストのおすすめ曲とかアルバムはどれ?っていう質問はよく目にしますよね。アラン・パーソンズ・プロジェクトについて言えばやはり全10作すべてを聴いて欲しい。それがおすすめです。なぜなら傑作だけでなく、時には批判を受けたり低い評価を受ける作品もある映画監督の一連の作品群のように別々の作品(アルバム)が同じ世界観で繋がり、制作年の異なるあの作品(曲)とこの作品(曲)が意外なところで共鳴し新たな魅力を放ってくれるからです(言っている意味わかります?)。

 

と言いつつも、やはり絶対に聞いて欲しいアラン・パーソンズ・プロジェクトのアルバムは「アイロボット」です。このアルバムは次回以降じっくりと語っていきます。

 

そしてピンク・フロイドの歴史的ヒットアルバムからの「輸入」とそしてピンク・フロイドによる「逆輸入」という大胆な仮説についても!

 

では、次回もYou'll never walk alone!