気が付けば「負のスパイラル」を歩む。悩み多き50代にとって一番必要な力とは?(後編)
こんにちはユルネバT-800です。
「自己肯定感」とは?
さて前回の記事で触れた50代になって(もしくは近づいて)自己肯定感が低くなるとはどのようなことでしょか?
それを考えるためにもまずは「自己肯定感」という言葉についてちょっと説明してみます。
「自己肯定感」とは自身を加点方式で捉え、減点方式で見ないということです。つまりは:
加点方式=長所や「成功」体験にフォーカスするポジティブシンキング。「自分のここがいい。」「私はあれも出来る。」「自分は人の役に立っている。」「私ならもっと出来る。」
減点方式=短所や「失敗」経験にフォーカスするネガティブシンキング。「自分のここがわるい。」「私はこんなことも出来ない」「自分は誰の役にも立っていない。」「私って何も出来ない。」
という二つのうちの前者の枠組みの中で自己評価がプラスになって得点がドンドン増えていく思考プロセスです。一方後者は引き算の自己評価で過去の自分の言動を後悔し、このスパイラルに入るとやがて得点がマイナスになっていくことです。
50代ってやはりどうしても自分の今までの歩みを振り返ってしまうのですね。そうして「何にも誇れるものがないな」とか「もうこれ以上は上がれないな」とか思ってしまうのですね。
不安と諦めの境地。もちろんそんな暗いことばかりの50代ではないでしょう。余裕を持って色々なことを楽しめる年代でもあります。
でも、こと仕事関係になると(で、生活の大半がその仕事に支配されている)敗北感と無力感に襲われたりしますよね。
50代にとって必要な力はこれ!
そんな50代にとって一番必要な力とはなんでしょうか?
色々なご意見あるでしょうけど、私は「自立する力」だと思っています。
もはや経済的に自立して何十年というのが50代だとは思うのですけど、ここでいう自立とは「他者に依存した評価や判断から離れて自分で自分の人生を選択していく」ことです。
例えば、会社の中では上司や周りに判断を委ね、選んでもらっていたなんてことはなかったでしょか?毎年、評価や査定の時期になると憂鬱になったりビクビクしていたなんてことはなかったでしょうか?
会社というシステムの中にいると個々人で程度は異なっていても多かれ少なかれ上記のような経験が誰にでもあるように思えます。簡単なようでいて、誰にも頼らず自分で選択するというのは難しいものなのです。
冒頭で触れた自己肯定感の高低もこの「自立している力」の高低と相関しているように思います。
つまり自己を肯定する基準が:
1.学歴
2.肩書
3.収入
という他者にとっても分かりやすい上記3点だったものが怪しくなってきたわけです。つまり1)はどこまでも不変ですけど、それが自分にもたらしてくれる利益はどうも不変ではないことに気付き、2)や3)が突然崩れ始める・・・ということなわけです。
なので:
自己肯定感を高める=自立する力を高める≒自分の中に自分なりの基準を持つ
ということになるのではと思うわけです。
50代になって「自分の基準を持て!」と言われても遅すぎるように思いますし、「そんなものとっくに持っているよ」と仰られる方も多いと思います。
既に持ってらっしゃるならOK。そして持ってないなら(曖昧なら)まさに今が50代が最大のチャンスなのです。なぜなら50代になって自己肯定感が低くなるというのは、それだけあなたが自分と正対して向き合っている証だからです。自分から逃げず自分を見つめなければ「自分の中に自分なりの基準を持つ」なんてことはできません。
では、「基準」というのはなんの基準でしょうか?
誰も自分からは逃れられない
それはやはり上記の「自分の人生を選択していく」ための基準なわけですけど、そんな大げさなものでなくとも例えば服装を選ぶ、食べるものを選ぶ、お出かけ先を選ぶ時に自分の基準を持つ、というようなことでもいいと思います。
でも究極的には「自分なりの幸せの基準を持つ」ということになるでしょうか。どのような「人生の選択」が自分にとって幸せなのか?と言えば大袈裟ですけど、どのような状態なら自分は幸せなのか?ということです。ここで一番大切なことは他者がどう思うか感じるかを一切考慮に入れないとうことです。
というわけで50代にとって一番必要な力は「他者の評価や判断から自由になる力」とも言い換えられますね。
もちろん、これだけで下がった自己肯定感が一気に高くなることはありません。でも、まずは他者から自由になりましょう。で、実はその「他者」を作り出しているのも自分だと気づくはずです。
最後に偉人の言葉を載せておきます。
われわれがわれわれ自身を知ることにどんなに関心を持っていようとも、
われわれは一切のわれわれでないもののほうをよりよく知っている
のではなかろうかと思う。もっぱらわれわれの自己保存のために定められた器官を
自然から授けられているわれわれは、それらの器官を、外部の印象を受け入れるために
しか使わない。つまりわれわれは自己を外に拡げ、自分の外に生存することをしかもと
めない。われわれの感官の機能を増加し、われわれの存在の外的拡がりを増大すること
にあまりにいそがしくて、われわれは自分をそのほんとうの大きさにひき戻し、自己を
自己に属さないすべてのものから区別するところのあの内部感覚をめったに用いない。
ジョルジュ=ルイ・ルクレール・ド・ビュフォン 1749年「一般と個別の自然誌 第二巻 人間の本性について」より
では、次回もYou'll never walk alone!